AI時代の教育のあり方
- Miyamoto Goki
- 2025年12月31日
- 読了時間: 11分
更新日:1月4日
〜「勉強ができる」は「仕事ができない」の同義語になる未来の話〜

私は現役会計士ではあるが、実は最近、大学生の時以来、塾講師のバイトを始めた。
ユニアカを創設するにあたって、今の子供たちとも関わりを持ち、指導勘を取り戻すためだ。 キャリアの途中では大学院講師をしたり、会計士の卵たちは相手にしていたが、それ以外の多くは企業の経営者〜部長クラスと対峙してきたから、小学生を相手にするのは無茶苦茶新鮮で楽しい。
やはり子供は純粋でいい。 塾のバイトを通じて、長年の企業相手商売ですり減って乾いた精神に潤いが戻るのを感じている。気持ち的には、10歳くらい若返ったような気分だ。
しかし一方で、私は新しい時代の教育を築き上げようとしている身でもある。
いまだに多くの子供たちが、長い期間、受験だけに爆発的なエネルギーを費消しているという実態に、思わず口を出してしまいたくなるのを堪えるのを毎日堪えている。
何せ、受験も就活も、数年の間にガラリと変わる。 「変わるかもしれない」ではない。
「変わる」のだ。
恐ろしい話だが、 "真面目で勉強ができるだけの優等生"は、これからの時代、最も価値の低い人材へと転落するだろう。
もはや説明は不要のことだが、AI社会では座学で得られる「正解のある問い」への解答能力など、ゴミ屑のような価値しか持たなくなりつつある。人間の役割は「情報のインプット(記憶)」から「アウトプット(創造・解決)」へと強制的に移行させられようとしているのだ。そんな中、今まさに進路に悩むご家庭、そして最前線で社会の激変を肌で感じている保護者は、"遅々として進まない学校教育"と、"爆速で進化するAI社会"の板挟みになり、ヤキモキする気持ちは察しがつく。
『果たして、旧態依然とした教育を受け続ける意味はあるのか? 』
これからする話は、受験や就職等のフェーズごとの「未来」の話。
あらかじめ断っておくが、これは「個人の推測」などという生温かいものではない。
これから訪れるであろう未来への警告だ。
「平均点」という猛毒
結論から言うと、「お勉強」の価値は二極化する。
大半はゴミ屑となり、一部はこれまでになかった価値を持つようになる。
いち早く、学びのベクトルを変えた者だけが、勝者となる権利を得る。
では、未来の教育において最も「不要」であり、即刻捨てるべきものは何か?
それは「全教科で満遍なく点数を取る」という、前時代的な美学だ。
苦手科目をなくし、平均点を上げる。この「平準化教育」はもはや害悪の極みである。
考えてみればごく単純なことだ。
AIは途方もなく膨大なデータを学習して、秒で"優秀な平均解"を出す天才なのだから、「平均的な優秀さ」を持つ人間個体ごとき、一瞬で駆逐されるのは当然のことなんだ。
「無駄な知識」の逆襲

誤解しないで欲しいのだが、私は「知識」そのものを否定しているわけではない。
むしろ、旧態教育のコンテンツ(中身)を大幅に変える必要は感じていない。
「学校で習うことなんて社会で役に立たない」と嘯(うそぶ)く者がいるが、これは短絡的で浅はかな発想だ。 AI社会では、一見役に立たない「無駄な知識」こそが武器になる。AIは何でも知っているが、人間の知識を土台とした「問い」がなければ動作しないからだ。 自分の中に「検索のための目次」を持たざる者は、AIという図書館で立ち尽くすだけだ。「知らないこと」は検索できないし、AIに質問すらできない。だからこそ、広範な基礎教養の重要性はこれまで以上に増すだろう。
さらに言えば、知識・論理の演算を極めた相棒(AI)が隣にいるからこそ、人間は論理の外側にある「直感」を養うために、一見無駄に見える広い知識を貪る必要があるのだ。
AIは「究極の平均」しか出さない
浅く広い知識だけでは足りない。
「深さ」も必要だ。浅く広い知識とは別で、興味が湧く分野をとことん突き詰めて得た、"突き抜けた知識"の価値が毀損することは、あり得ない。
AIが専門的な領域を知識を網羅しているのに、なぜ、突き抜けた知識が必要となるのか?
「AIの間違い(ハルシネーション)を正すために専門知識が必要」なのだと想像するかもしれないが、そんなことは当然であって、今はそんなレベルの話はしていない。
詰まるところ、どれだけ有能に見えても、AIとは、過去の膨大なデータの平均値を出力する機械でしかないのだ。つまり、放っておけばAIは常に「最もありきたりで、つまらない正解」しか出さない。 ここで、特定の分野において「異常に尖った深い知識」を持つ人間の出番が来る。
具体例)
私・ミヤモトの"AI教育"に関する専門性を例にして、AIの出力精度の違いを具体的にみてみよう。(なお、これはあくまで1次的な問いの具体例であり、本当の差は対話で広がるのであるが、ここでは割愛する。)
ケース① 浅い知識の問い
プロンプト>
AI時代が到来しつつあるが、我が子の教育のあり方を変える必要はないか、何となく不安がある。今後数年のうちに起こるであろう社会 (特に受験) の変化を予測して、私が取るべき具体的なアクションを提案して
回答 (要約版) >
大前提】 教育のゴールは「知識量」から、AIと知識を組み合わせる**「統合力」**へシフトする。
1. 学習の優先順位:英語より「国語力」と「探究」
国語力(論理・言語化)を最優先: 高度なAI指示(プロンプト)や、回答の真偽を見抜く力は、母国語の論理力に依存するため。
「探究」プロセスを重視: 「何に熱中し、どう解決したか」が評価される時代。子供の興味(昆虫、鉄道など)にとことん付き合い、アウトプットまで導く。
2. 家庭での会話:「正解のない問い」と「失敗の肯定」
正解のない問い: 「あなたならどうする?」といった、AIが苦手とする倫理や感情に基づく判断力を養う。
失敗への免疫: とにかくやってみて修正する「アジャイルな姿勢」を育むため、点数よりも「間違いの分析・工夫」を褒める。
3. テクノロジー活用:アナログ体験とAIの共存
アナログ体験(実体験): ネットにない五感を使った体験(キャンプ、対人関係など)こそが、AIには出せないオリジナリティの源泉になる。
AIは「壁打ち相手」: 禁止するのではなく、家庭教師のように使い、回答を検証する習慣をつける。
ケース② 深い知識の問い
プロンプト>
AI時代が到来しつつあるが、我が子の教育のあり方をどのように変えるべきか検討している。私の認識を以下にメモ書きするのでこれを忖度抜きに評価しつつ、これを補完する形で社会(特に受験)の変化を予測して、私が取るべき具体的なアクションを提案して
メモ:今の子供たちがAIネイティブ世代となることは既に確定事象とも言えるが、倫理的な課題や教育者不足問題などが足枷となり、一部海外のようにAIが義務教育化することは、数年では実質的に実現不可能である。その一方で、社会で求められる人材の定義は急速に変わりつつあり学歴社会の崩壊を予感させられる。このような中、いたずらに受験勉強に膨大なエネルギーを消費することの是非は慎重に判断すべきである。子供のうちから、極端に「勉強以外のこと」に振り切るのはリスキーだし、勉強だけも怖い。
回答 (要約版) >
AI時代の教育戦略
1. 現状認識:公教育の遅れは「ボーナスタイム」
家庭主導の優位性: 学校がAI対応できない今は、家庭でリテラシー教育を行うことで周囲と圧倒的な差をつける好機。
学歴の価値変質: 偏差値そのものより、**「質の高いネットワークへの参加権」**としての学歴(上位校)の価値はむしろ高まる。受験は捨てずに利用する。
ポートフォリオ戦略: 「勉強かそれ以外か」ではなく、基礎学力をAI活用で効率的に担保し、余った時間を「非認知能力」へ投資する分散投資が最適解。
2. 環境変化:「正解」から「納得解」へ
評価軸のシフト: 単一の正解を求めるものから、情報を統合して論理的な**「納得解」**を導く力(PISA型)へ。
総合型選抜の主流化: 「ペーパーテスト(基礎)」+**「ポートフォリオ(何を作ったか・社会とどう関わったか)」**が標準になる。
英語力の再定義: 翻訳機能で代替可能な「読み書き」より、異文化理解やリアルタイムの「対人コミュニケーション」としての英語が必須に。
3. 具体的アクション:ハイブリッド戦略
受験は「環境選び」: 受験の目的を「探究学習や自由な校風へのアクセス権」と定義し、AIを「文房具」として使い倒して効率化する。
AIネイティブの作法: AIを「壁打ち相手」にし、プロンプト力(質問力)と、回答を鵜呑みにしないリテラシーを家庭で育む。
「身体性」と「創造」への投資: AIが代替できない「リアルな対人体験(スポーツ・演劇)」や「ゼロから1を生む創造(ゲーム制作など)」に注力する。
親のアップデート: 「勉強しなさい」ではなく、親自身がAIを楽しんで使いこなす姿を見せる(ロールモデル化)。
ちょいと具体例が長くなったけど、全部読んでいただく必要はない。斜め読みで、視点のシャープさが、"土台となる情報量"によって明らかに変わっていることがすぐにわかってもらえるだろう。
最強の武器となるAIの能力をどれだけ引き出せるかは、その分野へ深度ある知見がモノを言うのだ。
つまり、これからの学校教育との向き合い方は、こうだ。
目次となる「広く浅い教養」
AIの「平均」を打破する「狂気的なまでに深い専門性」
この2つを併せ持つこと。 一見矛盾するようだが、要するに「中途半端な優等生」が一番死ぬということだ。 いびつでいい。いや、いびつなカタチこそが、人間性(ヒューマニティ)の証明となる。
受験と就職の崩壊と再生
「そうは言っても、受験や就職が変わらなければ意味がない」
そう思うだろう。
確かにその通りで、上記のAIの回答にもはっきりとそのように書いてある。
総合型選抜の主流化: 「ペーパーテスト(基礎)」+**「ポートフォリオ(何を作ったか・社会とどう関わったか)」**が標準になる。→つまり、ペーパーテストはなくならないという見解だ。
しかしだ。
風向きは確実に、そして急速に、変わりつつある。社会の変化は、当初予想されていたよりもはるかに早く、社会実装もある時点から一気に進んだ。教育も、ある時点でスイッチが入ることは想像に難くない。
例えば、世界最難関と言われるミネルバ大学では、キャンパスを持たず、講義はすべてオンライン、学生は世界を移動しながらプロジェクトに取り組む。彼らが評価するのはペーパーテストの点数ではなく、「現実にどのような変化を起こしたか」だ。 日本でも変化は起きている。東北大学等の国立大学ですら「総合型選抜(旧AO入試)」の枠を急拡大させている。偏差値という「インプット」ではなく、「社会へのアウトプット」へ、評価軸は完全にシフトしつつある。
ビジネスの現場は、もっと早い。私が見てきたビジネスの現場でも、学歴偏重採用はすでになくなっている。学歴は、"育った国"や"バイト歴"などと同じ程度の関心しか寄せられない情報になりつつあるのだ。この変化速度を考えれば、インプット教育の必要性が相対的に低くなる速度も早まることは必至である。
従来の「真面目に勉強」ができることこそが正義とする風習は、静かに、だが確実に崩壊しつつあるのだ。
今、親がすべきこと

2025年の上半期まではどの企業も人手不足でヒーヒー言っていたのに、今はもう肩叩きが始まっている。社会の変化は、想像の10倍早い。これから数年は、激動の就職市場だろう。
本来は、社会と教育は足並みを揃えるべきものだ。
だが、公教育の変化は遅い。
そして、変化する社会に備えて子供が自分で出来ることはごく限られている。
「学校が変わるまで待とう」という考えがいかに愚かしいことかは、理解いただけただろう。
我が子を守れる唯一の力は、親の行動力なのだ。 先のAIの回答にもあった通り、公教育の遅れは「ボーナスタイム」と認識して、変化を恐れず大胆に行動することが何よりも重要だ。
最後にまとめとして、私が考える「親がすべきこと」2つに大別する。
学びたくないことを学ばせろ!学びたいことは、とことん学ばせろ! 受験制度がどのように変化するのかは誰も正確には分からない。しかし、見据えるべきは大学ではなく、社会のはずである。社会を見据えた真の学びは、「苦手な科目をなくす」などという勉強では決してないということは明白のこと。学びたくないことを学び知識の風呂敷を広げられるだけ広げ、興味がわいた分野で突き抜ける。これこそが新時代教育の新しいスタンダードであると言える。
親の教育リテラシーで子供を守る! 時代の潮流を敏感に察知し、旧態の常識をいち早く捨て去り、行動(家庭での勉強取り組みの変換、学校外でのAI教育や人間力育成の補完等)に移すことーすなわち「教育リテラシー」。時代の過渡期の今、教育リテラシーは家庭により大きな差が現れている。これこそが、来る格差社会から我が子を守るために保護者に突きつけられている責務なのかもしれない。
筆者:Uniアカデミー教室長 宮本豪樹
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